【32cm。】
◆序◆
※モノローグ・遊海
私の新学期は波乱と転機と、少しだけの恋心から始まった。
真文「お前、今、身体空いてるか?」
呼び出された、人気の無い部室棟裏で、先輩は怯えたハムスターのように縮こまっていた私にそう言った。
厳しい冬を越えて少しずつ暖かくなって、春眠が暁を覚えない今日この頃。数々の難行を経てようやく辛うじて二年生へと無事進級した私は、何故だか一度も言葉を交わしたことの無い先輩に呼び出しを喰らった。
しかもその先輩は学校中で知らない人がいないくらいの有名人で、いきなり教室に直接来たときは、わけも判らず心臓が普段の五倍くらいの速さで鳴っていた。今もだけれど。
私が何かしたのでしょうか?
ひょっとしてどこか覚えていないところでご迷惑をかけて、それでボコられるのでしょうか、とか思っていると、先輩は、鼓膜が凍りつきそうな位、冷たい声音で、そう、言った。
私は産まれたときから一度も部活動というものをしたことがない、生粋の帰宅部なので時間は空いてますよ。しいて言えば夢丸(犬)の散歩という任務があるくらいです。
真文「…そういう意味じゃねえよ」
先輩の名前は寺門真文。私立歳嘉学園三年生。
身長・たかい。顔・美形。スタイル・ほそい。
運動神経・カラテ三段&剣道二段(らしい)、学力・全国模試偏差値七十超、と、耽美系少女マンガにしか存在していないようなクリーチャー。
学校きっての有名人。性格・傲慢にて不遜、加えてクールな振る舞いとたまに吐く毒舌のせいで、お友達は少ない模様。
でも、もちろんと言うか何と言うか、女の子にはモテモテのご様子。
…となると、どのような意味でありましょうか。
真文「好きな奴、居るのか」
私が親からもらった大事な名前は、一条遊海。私立歳嘉学園二年生。
身長・ひくい。顔・ふつう(自己申告)。スタイル・幼児体型。
運動神経・百メートル走十七秒八。学力・限りなく下から数えた方が早い。自称チャームポイント・ほっぺとおなか。
と、普通よりもだいぶ劣った、どこにでもいる、元気だけが取り柄の女子高生。
性格は明るく努めているので、友達は多いのです。友達は人生の宝です。
……あの、もしかして、もしかしてとは思うのですが…間違っていたら非常に申し訳ありません。
これは、その、愛の告白と呼ばれる行為(モノ)だったりするのでしょうか…?
真文「…それ以外に受け取れるとしたら、俺はお前の頭を疑う」
事実頭はよくないのですが。
真文「で。好きな奴、居るのか」
いえ、コイビトという特殊な関係を指すならば、好きな御方はいらっしゃいません。
真文「じゃあ、いいんだな」
あ、え、あの、その…そんなに急に言われても、わたくしにも心の準備というものがですね。
真文「黙れ」
……。
真文「今は、俺の事、嫌いでもいい」
先輩が嫌いなわけではないのですが…。
真文「お前の事が、好きなんだ」
……強引なのですね。あと人の話は聞いたほうがよろしいですよ?
真文「お前が欲しい。だから」
真文「俺を、選べよ」
そんな、新学期。
◇前◇
遊海「ゆっき、お昼ごはんを食べましょう」
雪「うん…そうだな」
遊海「その前に」
雪「ん…?」
遊海「…五限の古文の課題を見せてください」
雪「…報酬は?」
遊海「…いなり寿司、ひじき入り。加えて出汁巻き卵に鶏の笹身唐揚げ。魔法瓶に松茸の吸物付き。デザートに水饅頭、抹茶風味」
弁当をゆっきの机に広げる。
きらりん、とゆっきの眼が奥の方で鋭く光った。(気がする)
雪「……よかろう。其方も悪よのう」
遊海「いえいえ、お代官様程では」
美汐「…何やってんだお前ら…おお、今日はいなり寿司か!うまそうだな!」
雪「おい待て。これは全て私のだ。お前が食う事は許さん」
美汐「何だとぉ?別にいいじゃねーか。減るもんでもねーし」
雪「減るわ、ばか者。この弁当は古文の課題の対価として遊海からもらったものだ。よってこの弁当の所有権は当然、私と製作者の遊海にある。大体お前は自分で腐るほどパンを持ってきているだろう。合成着色剤の食い過ぎで腹を壊してしまえ」
美汐「ケチな事言ってんなよ。コレは箸休めみたいなモンなんだからよ。ゆーみー、わたしおなかすいたよー。おべんとうたべないとしんじゃうよー」
遊海「大丈夫ですよう、五人分くらい作ってきましたから、おなかいっぱい食べてくださいね」
美汐「さすがゆーみ、この冷血魔女とは違うな」
雪「誰が魔女だ」
全く仕様が無いな、と言いながら、ゆっきはいなり寿司を口に含む。
雪「で、だ。遊海」
遊海「はい?」
雪「もう王子先輩と性交渉はしたのか?」
遊海「――――ッ!?」
吸物を思いっきり吹いた。そしてお約束通り、対面にいたみっちょにぶちかかる。
美汐「うわっ!熱っ!汚ェ!」
遊海「な、なななな、なななにを仰るのですか!」
雪「ふむ、その様子だと接吻すらまだのようだな…私は安心したぞ」
美汐「何だ遊海、まだちゅーもしてないのか?」
雪「既に私の遊海が王子先輩の毒牙にかかっていたとしたら、私は今すぐにでも真剣を持って問答に行きかねん」
遊海「毒牙って」
ちなみに、王子先輩とは言うまでもないが寺門先輩のことである。
遊海「先輩はヘビかなんかじゃないですよう」
美汐「いや、男は皆、一枚皮をめくればビースト、ハ虫類だぜ」
雪「遊海は穢されてはならん。言ってしまえばイリオモテヤマネコやトキみたいなものだからな。保護対象だ」
遊海「私は天然記念物ですか」
雪「とりあえず遊海はずっとその純真無垢なままで居てくれ。でないと私は心臓麻痺でも起こしかねん」
美汐「まぁこのアホは放っといて、本当のところ、上手くいってるのか?」
雪「誰が阿呆だ」
遊海「うぅ…正直、微妙なところであります」
微妙どころか皆無に近い。最近やった恋人らしい事と言ったら、ギリギリ許容範囲で街を一緒に歩いたくらいだ。
一度だけでもコイビトらしく、と言うことで極僅かの勇気を振り絞ってデートに誘ったまでは良かったのだ。が、寺門先輩は一緒に歩いてはくれたのはいいものの、事もあろうことか手も繋げずに、始終会話らしい会話も発せず、デート(?)は終了してしまった。
美汐「うん、確かに王子先輩は女をリードするようなタイプじゃないしなぁ…」
雪「どちらかと言うと意外に尻に敷かれるタイプだな、アレは」
美汐「お。珍しく意見が合ったな」
雪「うむ。記念としてこの笹身の唐揚げは貰う」
美汐「あっ!てめェこの野郎!」
遊海「・・・ふぅ」
真文先輩と付き合い始めて、はや三ヶ月が経つ。
三ヶ月は長い。季節一つが巡ってしまうほどに。
長い、筈なのに。
美汐「返せェェェェェェ!うおりゃああああああァァァァ!」
雪「……美味」
遊海「何一つとして変化なし、かぁ・・・」
健全ないち高校生として、そして女としても大ピンチ?
◇中◇
放課後、世にも簡潔なメールが届いた。
『放課後、屋上。』
言うまでもなく、発信者は先輩だった。
優一「パス」
真文「…パス」
慎吾「うーん…俺もパス」
優一「おいこらァ!スペードの6止めてんのお前だろ!お前だな?お前なんだな!?」
慎吾「嫌だな、俺は単に出すカードが無いだけ。止めてるのは真文だよ」
優一「何ぃ!?」
真文「……」
…変な人たちがいました。
もとい、先輩のお友達、優一さんと慎吾さんです。なんか異様な雰囲気で七並べしてます。
真文「……」
遊海「先輩、こんにちは」
真文「…おう」
優一「お、遊海ちゃんこんちわ」
慎吾「やっと出たね…こんにちは、一条さん」
優一「悪ィな、この勝負終わったら俺らも消えるからよ。昼飯かかってんだ」
遊海「はぁ」
慎吾「貧乏学生にとっては昼飯代も小さくないのですよ…パス2」
優一「んぅああああ!パス3!3だと!?あと一回でアウト!?」
真文「…うるせえ」
優一「やっぱり真文、お前だ、お前だろ!?いいからとっとと6出せ!お前のせいで俺の手がどれだけ凍結してると…」
真文「…パス2」
優一「ウープス!」
ちなみに、後から見てるとわかるのですが、スペードの6を見事なまでに止めているのは慎吾さんです。
慎吾「あっはっは、酷いなぁ真文は…僕もパス3」
優一「終わった…俺の人生もろとも…今月の小遣いも…」
慎吾「優一は勝負事しないほうがいいよ」
優一「なんでだ!?男といえば博打だろうが」
真文「考えてることが顔に出すぎなんだよ、単細胞」
優一「何だとう!?」
慎吾「あ、一条さんごめんね待たせちゃって。二人きりの時間を邪魔するつもりはないから、お邪魔虫は去るよ」
遊海「そっ、そんな事は…ないのですか!?」
真文「…何で疑問形だ」
慎吾「よーし、じゃあ優一、学食に行こうか。スペシャルトッピングカレーの大盛りだ!」
優一「嫌だー!離せー!今月のあと僅かな小遣いがなくなるぅー!」
慎吾「はいはい、大人しく諦めましょうね」
優一「はーなーせー!いやだー!UMAに連行されるぅー!助けてNASA様!もしくは空を歩く人ー!」
慎吾「あはは、穴金さんは暗黒面に堕ちたのだよ優一くん」
真文「…うるさい奴らだ」
遊海「でも、仲良しです」
真文「…まぁな」
ふ、と先輩が含み笑う。
珍しい。先輩が笑うなんてマンボウの子供が生き残るくらいの確率です。
気付くと、先輩は屋上にある梯子を上って、給水塔の横に立っていた。
遊海「そんな高いところに登ってちゃ、危ないですよ?」
真文「いいんだよ。この給水塔からが一番、この街が良く見える」
遊海「そうですか…じゃ、私も行きます…んしょ」
真文「……落ちるなよ」
遊海「大丈夫です!きっと今は自由に空も飛べるはずです!」
真文「…そりゃ妄想だ。それより今日は…なんつーか、ちょっと大事なこと、話そうと思って」
遊海「大事な…こと?」
嫌な予感。
こと嫌な予感に関しては、私は何故か昔から良く当たる。
この展開は。
―――三ヶ月もの間、なんの進展もなかったふたり。
そこから導き出される、答え、は。
真文「あのさ…一条、俺のこと、好きか?」
遊海「えっ!?な、何をいきなり!」
真文「何をって…二択だろ。どっちだよ」
遊海「え、あー、う、ま、まぁ、人並み以上には、好きです。はい」
真文「…顔、赤いぞ。まぁいいや。なぁ一条」
遊海「…はい?」
真文「『好き』って、何なんだろうな」
遊海「え?」
真文「人間ってのはおかしな生き物だよな。他の生物と違って、無条件に他人を好きになれる。これといった、理由もなしに」
遊海「……」
真文「…正直、俺には、誰かを好きになるということが、わからない」
遊海「先輩…」
真文「俺さ、今まで付き合ってきた女の子って、みんな、あっちから告白されて付き合ってたんだ」
遊海「…そうなのですか?」
真文「ああ。別に好きなヤツもいないし、断る理由もないし…と思って」
遊海「はあ。現代っこですねぇ」
真文「…うるせぇ。で、付き合ったヤツはみんなみんな、嫌味なくらいに繰り返す。『好き』って」
遊海「それは…好きじゃなければ付き合おう、なんて考えないからじゃないんですか?」
真文「だからその、『好き』っていうのがわからない。お前だって、家族や友達は『好き』だろう?」
遊海「…はい。人間関係は、その情で成り立ってると思っています」
真文「だけど、恋人という特殊な関係になった時点で『好き』の意味は変わる。散々俺のことを『好き』と言って付き合った奴らは、往々にしてあっちから別れを告げる」
遊海「……」
真文「本当に、私のこと、好きなの?って」
遊海「……」
真文「どうして、相手の気持ちまで確認する必要があるんだ?好きなら、相手の気持ちなんて必要ないだろう?」
遊海「…そうでしょうか。私は、ちょっと違うと思います」
真文「…俺も、相手に好きになってもらいたい、って気持ちはわかる…でも、それは飽くまで強制するものじゃ、ない」
遊海「それじゃあ教えてください!先輩は、私のことを『好き』と言いました!先輩は、私に好きになって欲しくないんですか!?」
真文「なって…欲しい。でも…その方法が、わからない。わからないから、こんな変なこと、聞いてるんだ!」
遊海「じゃあ…聞かせてください」
真文「…何を、だ?」
遊海「先輩の声」
真文「…声?」
遊海「先輩の、ほんとうの声。ほんとうの言葉。嘘偽りの無い、寺門真文としての声が、私は、聞きたい、です」
真文「……一条」
遊海「…わたし、先輩のこと、好きです。ずっとずっと前から、好きです。でも先輩は、私にとっては雲の上の人で、あの日付き合ってくれ、って言われた時は、心臓がはちきれそうで」
真文「……」
遊海「でも、よく考えたら、なんで私みたいな、なんの取り柄もない普通の女の子を選んだんだろう、って。一度でも考えちゃうと、もう堰を切ったみたいに不安だけが溢れちゃって」
真文「……一条」
遊海「どうして、なんて、わかる訳ないじゃないですか……好きじゃいけないんですか?理由がいるんですか?わたしは…うっく、せ、せんぱいのこと…好きだから……り、理由…なんて…」
真文「遊海」
遊海「…ッ!」
身体が、引き寄せられた。
遊海「せ、せせ先輩!?ちょ、ちょっと…!」
真文「好きだよ。俺は、お前が好きだ。それだけは、間違いねェ」
遊海「……っ」
真文「変なこと聞いて、悪かった。ごめんな、俺も、不安だったんだ…あんな一方的な告白で、本当に好きになってくれるのか、って…」
私は馬鹿だ。
こんなにも。
こんなにも、こんなにも。
こんなにも、愛しい人に愛されていて、愛しているとまで言われて、それでも、それを信じることが出来なかったなんて。
遊海「せん…ぱい」
真文「泣くな…うぜぇ」
ぐりぐりと、乱暴に頭を撫で回される。
真文「…ひでぇ顔」
遊海「う、うぐぅ……」
真文「…悪い。長い間、待たせて」
遊海「先輩の…ばか」
真文「ああ…悪か……っ!?」
効果音:突風
遊海「きゃあ!?」
真文「く…ッ!遊海!」
世界が回る。
目の前にいた先輩が遠くなっていく。
最後に見たのは、手を差し伸べる、先輩の姿。
◆跡◆
―――一ヵ月後。
遊海「…先輩」
真文「あ…?あ、僕の知り合いの方…ですか?」
遊海「…はいっ。初めまして!わたし、一条遊海と言います」
先輩は、あの日、給水塔から落ちる私を庇い、病院へ運ばれた。
その結果、先輩は継続性記憶喪失―――一日ごとに記憶を失くす、一日ごとに産まれ変わるような、後遺症を背負った。
真文「すみません…僕、昨日より前のこと…ほとんど、覚えてないんです」
遊海「はい…知ってます」
真文「そうですか…申し訳ありません。一条…さん?貴方は僕の―――」
遊海「―――――友達、です」
私と先輩は、正確に言うとまだ、『恋人同士』じゃない。
お互いの気持ちを確認しあっていないし、そして何よりも、恋人に必要不可欠な感情、『好き』が、今の二人には欠けている。
…だから。
32cm。
私と先輩の距離。
恋人までの最短記録、作りましょうね。
END