文責
大貫アイ
公開日時
2010-05-08 05:57 AM
カテゴリ
シュリンクスの響く時, 作品鑑賞, , 演技, 編集, 音響

あるボイスドラマを聴いた。
「よく動く」「よく見える」という印象で、人の熱も感じられた。具体的なイメージが頭の中をところ狭しと埋め尽くして、飽きること無く最後まで聴視できた。
倉本聰氏「ラジオドラマはもっとも高度な映像作品」とは当に言い得て妙で、良い音声劇は、音を聴いていると言うより、映像を見ているかのような感覚を伝えてくる。

あるボイスドラマを聴いた。
一部の出演者が、これは多分「芝居をしていない」と言われる状態で、人物が話している先に相手が見えない。いない。十中八九、マイクと台本の文字しか見えていない。

ラジオドラマの音声は編集できるにも関わらず、縮めるべきであろう台詞の間や行動の間が多過ぎて、途中で飽きてしまった。句読点(punctuation)の意味より記号的な間が勝つのか、「台本を忠実に読んでいる」という印象が強かった。その役の人物が脚本に書いてある通りに思考していたら、きっとその間にはならない。多分、読めていないのだと思う(嗚呼どの口が言うのか……とりあえず言うけど……)。

音響効果(SE)も重要な一役を買っている。「トコトコトコ」「カツカツカツ」「タッタッタッ」と歩く音。後者のラジオドラマの場合、歩く音は鳴っているが、何も動いているように「見えない」。イメージ出来ない。歩いている音はするが、音がするだけ。前者とのこの大きな差は何だろう。

音声劇で自然と強く気にしてしまうのが人間の「歩み」の表現だ。音声劇に限らず、これはどうやら各表現媒体で共通的に「基礎」とされるようで、アニメーションの作画でも「歩き」をうまく書けるようにまず訓練すると聞く(加えて「振り返り」か)。
演技でも、自然とただ「歩く」のはとても難しいとされ、故にワークショップなどで度々訓練される。某国民的アイドルが主役のテレビドラマで、彼が一人歩いて去っていくラストシーンのぎこち無さはそこまでの50分を見事にすべてぶち壊した。当時、小学生ながらに、ショックだった。

人間は一度に複数のことを行えるので、歩きながら考えたり、考えながら歩いたりする。歩きながら、考えながら、振り向きながら、躊躇いながら、話し出すなんてことを一瞬の間にやる。歩き方や歩く音には当然個性があるし、同じ人物でも、その時考えていること、話している相手、方向、距離などの条件で変わる。それを音効や演技できちんと表現されている作品は、総じて最後まで聴けることが多い。

――と、ここまで本当に偉そうに言っていて、各所から嘲笑や失笑や叱咤や無視を頂きそうで怖いのだが、今の私はこれに気づいて文章化するのがやっとで、私自身すらも満足させるだけの演技力もなければ、編集技術もない。仮に私だけがどうにかなればよいわけでもなくて、脚本、演出、演技、録音、編集、そして各担当が十分に切磋琢磨できる関係と意欲――これらが揃って初めて、冒頭で書いたような素晴らしいものを作れるのだと思う(実際に、実力者と良い環境が揃って作られた作品だ)。

ただ、驚くなかれ、今このサークルで作っている連続ラジオドラマ『シュリンクスの響く時』では、これくらいの高いクオリティーを目指したい、と私は考えている。

まぁ、目指すのだけはタダだし、以下のような勝算もある。少しある。

まず、作・演出の吉田まほ子と、(恐らく)私がここまで(きっと)書いたことの(多分)大部分を(ひょっとしたら)共有できていることだ(自信ないけれど)。脚本・稽古・演出・編集などの核を司る彼女が、もし「歩く音なんか速度だけ違和感が無きゃいいよ」といった感性の持ち主だったら、私の野望は無謀だ。その点、物凄く信頼している。筆と集合は遅いけれど、とてもデキル子。ヤル子。

次に、潤沢な制作期間があることだ。もちろん、スケジュールを立てて稽古・収録と進めていくのだが、幸い、できあがったものを放送していただくラジオ番組の主宰である内海音楽企画さんには、「クオリティを優先する」ことに賛同をいただいている。作って終わり・聞かれて終わりの自己満足ではなく、より多くの人に、より強く満足してもらうために、そこから何かが生まれることを期待して、試行錯誤しながら大事に作っていきたい。(でも、やっぱり遅くとも8月には第1話を放送したいですよね……)

最後に、そしてこれが多分最も重要で、「各担当が十分に切磋琢磨できる関係と意欲」があると思われることだ。そこには当然、私も含まれているが、私は能力的にも人間的にもほんっとに不十分で、一人じゃ何もできないし、これまでこのサークル内だけでも色々とヤラカシテきたが、意欲だけは負けていない。かと言って誰かが劣るというわけでもなく、私にようにこんな面倒くさい文章を恥ずかしげもなく書いて公開しないにしても、それぞれが今回のラジオドラマに思うところがあるだろうし、それぞれの意志や状況に対して協力的で、やりたいことに貪欲な面白い人間ばかりが揃っている。

あとは、この多様な素材を切磋琢磨するだけだ。「切磋琢磨」って、文字通り、切ったり研いだり叩いたり磨いたりするってことで、危険や痛みを伴なう可能性がある。それが当たり前とは言わない。ただ、それを怖がっていて素晴らしい作品は完成しない。多分、間違いない。

終わって、良いものを良い仲間と作れたという実感を得たい。
そして願わくは、現時点ではただの歩兵でしかない私が、金に成れんことを。

あと、お金にもしたいよね。。切に。。