第一回、第二回と収録を終え、特に思うこと。それは、現場での集中の仕方は人それぞれで、個人と全体両方の成果を高めるためには多くの配慮が必要だ、ということ。
限りある収録時間、効率的に進めないと全体が損をする。ただ、休憩(肉体的・精神的どちらとも)無しには成果が上がらず、ミスをしてしまうことは多い。特に収録役と進行役(演出)は役者以上に拘束時間が長く、またそこでのミスは致命的になりうるため、なるべく負担を減らしてあげたいと願う。
また、役者それぞれの都合上、用意された収録時間のうち僅かにしか参加できない場合がある。主役・脇役関係無く、「この時間で必ずこれだけの演技を」と求められることはままあり、アフレコと言えどもほとんど生放送の緊張感と変わらない。ストレスは相当なもので、人によって対処の慣れ不慣れ、得意不得意がある。
- 集中しづらい人 vs 集中しやすい人 vs 集中させやすくする人
- 大声を出すことで集中を高める人 vs 瞑想することで集中を高める人 vs もう既に高まっている人
- 歓談することで緊張がほぐれる人 vs 外の風に当たることで緊張がほぐれる人 vs 緊張をほぐしたくない人
同じ作品を作っていても、参加者は皆、役者として、または制作者としての出自が大きく異なり、状況、性格もばらばら。十歳以上の年齢差、十年以上の経験の差、性別差、畑(声劇 vs 映画 vs 舞台 vs 未経験)の差、目標の差、立場の差、役割の差、etc。これらがまったく同じであることなんか無いし、無いからこそ辛く、そして面白いのだと思う。
ただ、一つの作品を作る以上、全員で共有すべき点はいくつかあると思う。
- それぞれ得手不得手が異なっていることを認識する
- それぞれの得手不得手に配慮する
- 以上のことが不得意な人のことも認識し、配慮する
以上、段階的に。
下準備、練習、二回の収録を通し、これまでだけでも数え切れないほどのことを学ばされた。多くが失敗からの反省によるもので、あの時あの場所あの人のあの表情を思い出すたびに、「嗚呼もっとこうしていれば!」と苦悩することばかり。中には、まだ自分なりの答えが出ていないものもある。中には、正解を知っていても再度誤ることもある。きっと、気づいていない失敗も多くあるだろう。こうした悶々と焦り(当人は「配慮」と銘打ってはおれど)が空回ることも多々。
こうした不出来がある程度許されるくらいには近く、それを許したくないと思えるくらいには遠い。
まだよく位置を見極められてはいない。
昨日の収録後、
「どうやら徒歩二分のところに最寄り駅があるらしいから」
と、集団から Jutta さんと二人だけ離れて、既に五分も経った。
頼りの Jutta さんは、
「私、方向音痴なんですよ」
「はっはっは、俺もです」
「あ、本当に^^ あはははは」
どうにもアテにならない。駅はどこだ。まだよく位置を見極められてはいない。
標識があったらもっと楽なんだ。常にそれは期待できないから、自分で探すしかないんだけれど。

ようやっと着いた。
風邪を引いた皆さん、お大事に。
高校受験の時、迷って開始二分前に学校に着いた俺。
地図読めない。頭悪い。
誰のこと? はーい私。
エースはこの間思い知ったことと思う。